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政治とメディアというエンターテインメント

2020年08月01日

 

 将棋の藤井聡太七段が史上最年少でタイトルを奪取したことが話題になっています。将棋の世界では人間がコンピューターに勝てなくなってもう20年ほどたっており、その差は今も広がるばかり。一時は将棋も終わったのではないかなどとも囁かれたものですが、どっこい今も続いています。勝ち負けというドライな結果がすべての世界において、もはや一番にはなり得ず“人間の中で”という限定付きとなってしまうにも関わらず、将棋というものがいまだに人間の興味をそそるのは、そこに棋士の個性というものが介在するからでしょう。ただ勝てばいいというわけではない。勝ち方が問われるし、また誰が勝つかも問われる。誰が勝ってもいいのではなく、藤井君が勝つからこそ面白いという要素もあるのではないでしょうか。つまりエンターテインメントなのです。勝つか負けるかの結果に関わらず、将棋を打つ人の個性が出せれば、AIほど成果は出せなくても、人間の仕事として今後も生き残る。逆に言えば、生き残りたいなら個性を出さなければいけないということを藤井先生は示しているのかもしれません。

 ただし成果の如何がより身に差し迫る分野となると、やはり個性がどうのこうのよりも、成果が出せる者にやってもらった方がいいのではないかという思いも出てきます。例えば、今の新型コロナ禍の舵取りをAIにやらせたらどうなるか。すべてのしがらみや感情を排除した判断をすれば、割とシンプルな結論が出るのではないかと思うのです。つまり許されるすべての予算を検査体制の充実、感染者の隔離・治療に集中させる。目指すべき姿は、感染可能性の有無に関わらずとにかくどんどん検査して、感染している人は隔離し、していない人には非感染証明書を発行して、無制限の外出は無理にしても、出勤や出張あるいは人混みへの出入りについてはその携帯を義務付ける。そして外出制限や休業要請は一切行わない。こうなるのではないでしょうか。実際には限りある予算でマスクを配ったり、10万円ずつばら撒いたり、外出するなと言ったり、かと思うと旅行に行けと言ったりしているわけですが、正直よく意味がわかりません。

 とは言え、そうした政治の動きも私は直接見ているわけではなくすべてメディアを通じて知るのですが、果たしてこのメディアをどの程度信じて良いものなのか。最近は自虐的なメディアも多く、自らメディア不信について論じているものを見かけます。しかしその方向性がどうもズレていて、メディア不信の原因は権力へのすり寄りだから、自分達は是非とも権力を監視していかなければならないというものです。今時メディアにそんな機能を期待している人がどのくらいいるのでしょうか。むしろ今人々がメディアに期待していることは、自分が「見たい、聞きたい」と思う情報を発信してくれることです。そしてメディア不信というのは二つあって、一つはこの「見たい、聞きたい」の欲求に反する情報を送ってくること、そしてもう一つがこの欲求を満たすことばかりに一生懸命で、著しく偏った情報伝達を行っていることです。
これを何のしがらみも意図もなく、ただ正しい情報を偏りなく公序良俗の維持のために必要な範囲で、AIに伝えさせたらどうなるのでしょうか。「コロナウイルスはただの風邪」とまではならないにしても、AIはそもそもこれを殆どニュースバリューがないと判断してあまり取り扱わないのではないかという気すらします。

 将棋と同じく、政治もメディアも既に“正しさ”という意味ではAIに抜かれているのかもしれません。だから、AIにやらせれば客観的には今より良い世の中にできるのではないかという想像は禁じ得ません。ただ現実にはそうはならない。それはやはり、我々が政治とメディアに“正しさ”よりも“個性”を求めているからではないでしょうか。つまり政治もメディアも、今や本質はエンターテインメント。個性があるから今も生き残っている。そう考えれば腹の虫も治まるというものです。

 

代表取締役 CEO 奥野 政樹

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